FC2ブログ
29

アローズ関連記事:ユニチカ廃部からアローズ誕生まで

バレーの記事は少なくて貴重なので、ネットで確認できたアローズに関するニュース記事や特集記事のうち「ぜひ残したい」と思った物をこれから数回に分けて掲載していきます。
長文の記事は勿論、短くても重要な記事は残したいです。
なお、既に掲載している記事もあるかと思います。


切ない気持ちになりますが、アローズの歴史を語る上で避けては通れないので、まずは突然のユニチカ廃部発表から東レアローズに生まれ変わるまでの記事(ユニチカと東レのプレスリリースを含む)を一気に。


平成12年7月5日
 

ユニチカ株式会社



バレーボール部の活動停止について(PDF)


 当社バレーボール部(ユニチカフェニックス)は、7月をもって活動を停止いたします。永らくご支援いただいてまいりましたことに謝意を表し、ここにお知らせいたします。
1.活動停止の経緯
  ユニチカフェニックスは昭和29年の創部以来、単独チームとして、あるいは国内の代表として、日本リーグ(Vリーグ)、オリンピックなどで数々の戦績を残すとともに、その結果として社名の高揚に貢献し、また従業員の心の支えとして活動してまいりました。
  しかしながら、企業を取り巻く昨今の環境は厳しく、平成10年度より、総合対策を実施し、祖業である繊維部門を分社して業容の転換を図るとともに、社内諸制度の抜本的見直しを行うなど、経営建て直しの諸施策を進めて参りました。また、4月からは経営体制を刷新し、新体制の下に総合対策の完遂を期しており、今般の措置についても、その諸施策の一環として決断いたしました。

2.活動停止後のチームについて
  ユニチカフェニックスとしての活動は平成12年7月末日までとします。
 この間、チーム全体の移籍を前提に、会社として全力をあげて受け入れ先の確保に取り組みます。

3.ユニチカフェニックスの概要
 (1)創 部  昭和29年3月、数ヶ工場のバレーボール部活動を貝塚工場(大阪府、現:貝塚事業所)に統合し新たにチームを発足。
 (2)戦 績  Vリーグ(日本リーグ)優勝 6回(日本リーグ5回Vリーグ1回) 
         天皇杯黒鷲旗   優勝19回
 (3)現人員  選手:16名 スタッフ:監督以下8名、

以上

バレー ユニチカが休部(2000年7月5日 スポニチ)

 「東洋の魔女」を多く輩出し、日本女子バレーボールを引っ張ってきたユニチカが休部することになった。本社(大阪市)の業績不振が理由で、5日にも日本バレーボール協会に活動を停止する旨を報告する。五輪切符を初めて逃した日本女子バレー界に、名門の休部が追い打ちをかける事態となった。  五輪最終予選が終わった翌日の6月26日から休部への動きは始まっていた。大松博文監督(故人)の下で59年から66年までの7年間に258連勝を達成、64年の東京五輪では河西ら主力選手を送り込むなど日本の女子バレーボール界をリードしてきた。ここ数年は不況のあおりを受けて業績が低迷、ユニチカ本社も99年度3月期に85億円を超える赤字決算を計上したが“聖域”だけに守ってきたものの、五輪切符を逃したことで、上層部の意識が変わってしまった。  日本のエースとして活躍した熊前ら23選手は移籍先を探すことになる。五輪最終予選では日本中の関心を集めたバレーも、もう特別な存在ではなくなった。

 ▼ユニチカ・達川実監督 休部?それは噂でしょう。サマー・リーグにも出ているし、どういう根拠で、そう言われるのか。もしそう(休部)なら、社長や副社長なりから私どもに話があると思います。

 ◇ユニチカ 前身のニチボー(日紡)貝塚は1954年(昭29)結成。64年の東京五輪で河西らニチボー主体のチームで金メダルを獲得。Vリーグは96年優勝、今季は3位。主なOGは横山樹理、中西千枝子、佐伯美香ら。



名門ユニチカが“廃部”(2000年7月5日 スポーツ報知)

 1964年東京五輪の女子バレーボールで金メダルを獲得した「東洋の魔女」の母体となった名門、ユニチカが、長引く不況の影響でバレーボール部の活動を7月いっぱいで停止すると5日、発表した。  大阪市中央区の同社大阪本社で記者会見し、小寺健吾執行役員・人事部長は「ユニチカという名前がバレーボール部に残ることはありません」と話し、事実上の廃部を明らかにした。  活動停止は6月29日の役員会で決定。チーム全体の移籍を検討中で受け入れ先を探しているが、現在のところ具体的な話は決まっていない。しかし選手は、8月以降も受け入れ先が見つかるまで、これまで通り練習を続ける。  ユニチカは54年、日紡の各工場のバレーボール部を統合し、日紡貝塚としてスタート。「鬼の大松」と呼ばれた故大松博文監督の下、猛練習と「回転レシーブ」などで59年から国内無敵を誇り、小島孝治監督時代の66年に敗れるまで258連勝を飾った。東京五輪では、中村(旧姓河西)昌枝主将らが「東洋の魔女」の異名をとった日本チームのレギュラーとして活躍、優勝に貢献した。  Vリーグとその前身の日本リーグで優勝6度。ことしは5月の全日本男女選手権で通算18度目の優勝を飾っている。現在は日本代表の熊前知加子らが所属している。



ユニチカバレー 有終の美 最後の公式戦は白星 (2000年7月10日 京都新聞)

バレーボールの日本サマーリーグ一次リーグ最終日は九日、神戸市のダイエー総合スポーツセンターで行われ、今月いっぱいで事実上の廃部となるユニチカは3―1でデンソーに勝ち、有終の美を飾った。

 約六百人の観衆が見守ったこの試合がユニチカにとっては最後の公式戦。一九五四年に日紡貝塚としてスタートし、五九年から六六年まで258連勝を記録するなど、数々のタイトルを獲得してきた栄光の歴史にピリオドを打った。

 ロサンゼルス五輪銅メダルメンバーの中島(旧姓広瀬)美代子さんらこのチームで青春時代を過ごした元選手が応援。ユニチカの小旗を振りながら、約六百人のファンとともに試合を見守った。

 故障などを理由に木村久美主将や日本代表の熊前知加子選手はこの試合を欠場。しかし、全員がユニホームを着てコートサイドに立った。これが最後の公式戦。木村主将は「ユニチカのユニホームでこれから戦えないのはつらい」と肩を落とした。

 会社側はチーム全体を受け入れる移籍先を探している。ファンの間ではチーム全体移籍を嘆願する署名運動も起こっている。

 この試合でチームを引っ張ったエースの向井は「きょうが再スタートの日」とさえ話した。栄光の歴史を引き継ぐ、新しいチームができることを選手もファンも信じている。

 ユニチカの社員で構成される応援団の副リーダー、元田明宏さんも「彼女たちは家族と同様。屋根が変わっても応援を続けていくのは当たり前です」と力強く話した。(共同通信)



ユニチカ移籍問題で支援=Vリーグ(2000年7月12日 時事通信)

 今月限りで廃部になる女子バレーボール、ユニチカのチーム移籍問題で、日本バレーボール協会常務理事でVリーグの岡野昌弘実行委員長が12日、大阪市のユニチカ本社を訪れ、今後、協会、リーグとしてもチームの全体移籍に向け支援していく姿勢を伝えた。  次回Vリーグの参加登録のためには、今月末の移籍先決定が迫られているが、リーグ側は状況によっては特例を設ける意向。また、ユニチカ側も、現在使用している貝塚市の体育館や合宿所などの使用を移籍後も容認するなど、受け入れ環境への配慮を説明した。

 

ユニチカの全体移籍先探しは依然難航(2000年7月12日 SPORTS-J)

 今月末で事実上の廃部となるユニチカ・バレーボール部の全体移籍先探しは依然、難航している。11日、小島孝治・顧問(日本バレーボール協会強化本部長)は大阪市内の自宅前で「あちこち当たっているが進展はない」と疲れた表情で話した。  この日、チームは報道陣や一般ファンには非公開で練習を再開。本社からは小寺健吾・人事部長が大阪・貝塚の体育館を訪れ、休部に至った経緯と状況を説明した。Vリーグのチーム登録が31日に迫る中、本社もチームも徐々に焦りの色が見え始めた。



2000年8月9日
 

ユニチカ株式会社
東レ株式会社



ユニチカ女子バレーボール部の移籍について(PDF)


 東レ(株)とユニチカ(株)は、この度、先月末日で活動を停止したユニチカの女子バレーボール部を東レが譲り受け、監督をはじめ全選手が移籍することに、基本合意いたしました。今後、東レ女子バレーボール部としての再出発に向けて、両社で具体的な協議に入ります。

 ユニチカは、企業構造の変革を進めるに当たって、女子バレーボール部の活動を停止することを、去る7月5日に、正式に発表いたしました。その後、チームの全面移管を基本に移籍先を探してまいりましたが、同じ繊維業界にあり、男子バレーボール部「東レアローズ」を保有する東レと交渉を進め、このたびの合意に至りました。
東レではユニチカからの女子バレーボール部譲り受けについて検討した結果、①日本女子バレーの名門である同部は社会的な財産であること、②男子バレーボール部とともに育成すれば、東レのシンボルスポーツとしてより定着が図れること、③東レパンパシフィック・オープン・テニストーナメントを84年から主催するなど、女子スポーツ振興はすでに社会還元活動の一環に位置つけられていることなどから、この度の決定をいたしました。

 今後とも、全国のバレーボールファン並びにマスコミの皆様方に対しましては、新たなスタートをいたしますチームに対しまして変わらぬご声援を賜りますようお願い申し上げます。

以  上

 

女子バレー・ユニチカの選手・スタッフ、東レ移籍で合意(2000年8月10日 Asahi morning Issue)

 親会社の不況から、7月いっぱいで活動を停止した女子バレーボールの名門ユニチカの選手、スタッフ全員が東レに移籍することで合意したと両社が9日、発表した。Vリーグには来季からユニチカの代替チームとして参加が可能となる。  東京都内で記者会見した東レの渋谷高允専務は、受け入れ理由として、(1)ユニチカの歴史、実績は一企業のものでなく、社会的財産(2)2年連続Vリーグ2位の男子チームと合わせ、東レのシンボルスポーツの両輪に育成できる(3)会社としてテニスなど、女子スポーツ振興で社会還元活動を進めている、などをあげた。運営費はユニチカと同じ年間3億円を計上。「長い目で支援していきたい」と話した。  今回の移籍について、達川実監督は「歴史ある立派な会社に移れて喜んでいるが、責任の重さも感じている。Vリーグ優勝を目指し、いいチームをつくりたい」と話した。また、木村久美主将は「この1カ月不安いっぱいだったが、これでバレーに専念できる」と、ほっとした表情だった。

◆東レのサポート感謝――岡野昌弘Vリーグ実行委員長の話

 オレンジアタッカーズやシーガルズの例もあるし、Vリーグ出場は問題ない。同じ繊維の企業ということで、しっかりサポートしてもらえると感謝している。我々としては魅力あるVリーグにするため、さらにいろいろな改革を進めていきたい。

◆企業に頼らぬ構造改革期待

 伝統チームの廃部を決めたユニチカ本社は、主取引銀行の三和銀行を通じて、チームを譲り渡す企業を探していた。関係者によると、最終段階に残ったのは5社。うち2社は廃部発表後に関心を寄せてきた。  ユニチカ社内には、複数の企業で支えるスポンサー方式や、Jリーグを手本にしたクラブ方式という案もあったようだ。しかし「理想だが土壌がまだない」「一企業に預けた方が安定する」という判断が主流だった。「挑戦」するには、時間も後ろ盾もなかった。  結局は従来と変わらぬ、一企業にチームをゆだねる形。企業トップの方針変更で廃部になった今度のケースが、将来、再び繰り返されないとは限らない。  チーム全体の移籍が実現した今回は、「東洋の魔女」の看板に助けられた。恵まれた例だ。バレー以外を見ても、リストラされた企業チームは、ほとんどが打つ手なく消滅した。  Vリーグの岡野昌弘実行委員長は「バレーは時代ごとに業績の良い業種、企業に支えられてきた。だがこれからは、企業に頼ってばかりはいられない」と語っていた。自立に結びつく構造改革に期待したい。  「もうこんな目に遭うのはこりごりだ」と話した中心選手の1人は、この1カ月間を振り返ってこう言った。「バレーができることが当たり前ではないことがわかった」。Vリーグ関係者もこの言葉を忘れないで欲しい。



新チーム名はアローズ(2000年9月11日 スポーツ報知速報)

 7月末に廃部した女子バレーボールの名門ユニチカを、チームごと引き受けた東レは11日、新チーム名を男子と同じ「アローズ」にすると発表した。  移籍した達川実監督、選手16人らが、本拠地となる滋賀県大津市の東レ滋賀事業場で会見した。主将の木村久美は「またバレーボールができる喜びと感謝の気持ちでいっぱいです」と晴れやかな表情で話した。  11月2日からのVカップが初の公式戦となる。

スポンサーサイト



comment

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://azzurroarena.blog19.fc2.com/tb.php/643-8a6fa7ed